2017年11月4日土曜日

墓地

山にある静かな墓地を歩いていました。 平和の気持ち。

4 件のコメント:

JM さんのコメント...

Bello cementerio. No somos nada:

Nuestras vidas son los ríos
que van a dar en la mar,
que es el morir:
allí van los señoríos,
derechos a se acabar
y consumir;
allí los ríos caudales,
allí los otros medianos
y más chicos;
y llegados, son iguales
los que viven por sus manos
y los ricos.

静子 さんのコメント...

墓地って、日没後にはあまり訪れたくない場所ですけど、不思議と落ち着いた気分になりますね。おそらく、そこに眠っている人たちの生前中のことなどを想像してみるからかもしれません。そうすると、一瞬でも、現在の時点と過去の時点の時の流れ、つまり接点を感じさせてくれるからかもね。

私は広島に帰る度に必ず両親のお墓を訪ねます。まずお墓を綺麗にして、お水を墓石にかけて、お花を供えて、そしてお線香を立てます。
そして、眠っている父と母と、短い時間ですけど心の中で言葉を交わします。いつも、本当に落ち着いた気分になります。
死は必ず訪れれてくるもので、誰も避けることはできませんね。父も母も70代前半で亡くなりましたけど、今でも私の心の中に居てくれます。
お墓は、私が両親と出会う場所になっています。悲しいけど、心は平和ですよ。

Francisco さんのコメント...

美しいコメント、静子さん。
あなたがお墓を訪ねていることが想像ができます。
精神の平和でしょう。

Francisco さんのコメント...

Jesús-san,
gracias por la bella estrofa de Jorge Manrique.